茫洋

日記

檸檬

京都に暮らしているとしょっちゅう京都の街が嫌になって、嗚呼下宿のドアを開けたらそこが真冬の札駅前になってたりしないかなとか思ったりするのだが、京都を離れたら離れたで青臭い御所の匂いだとか学生の多い交差点だとか高い建物がない空だとか、僕の思う"京都的"なものがない光景になんだか頭がくらくらして、喫茶店に逃げ込んでくるりを聴きながら自分の難儀さに苦笑しちゃったりする。

小生小説 第1章

  突然で申し訳ないのだが、小生は童貞である。しかし唯の童貞ではない。「プロ童貞」なのである。ここで「プロ童貞」について若干の説明を挟む必要がある。「プロ童貞」とは所謂玄人童貞と同義ではない。いや寧ろ性行為の有無の点で全くの対極にあると断言しても過言ではないだろう。小生の唱える「プロ童貞」とは、女性に対して童貞なりの哲学、つまり善悪の彼岸にある女性へのイデアを持ち、そして自らが童貞であることに矜持を持つ者のことなのである。

 

  小生が齢19にしてかくなる人間に成り果てたのにも、少なくともあの木屋町を流れる高瀬川よりは深い訳があるのだ。拙い部分も散見されるだろうが、少しだけ小生に時間を割いてほしい。

 

  世間がやれミレニアムイヤーだのやれ対テロ戦争だのと騒いでいる丁度その頃に、小生は嘗て炭鉱で栄えた九州の田舎町に誕生した。それはそれはかのかぐや姫もかくやと思われるほど、玉のような赤子だったらしい。元来快活な性格をしていたのだが、父親が所謂転勤族なのもあり、幼き頃から転校を繰り返したことで引っ込み思案の子供に育ったようだ。友人と屋外で遊ぶこともせず小難しい歴史小説ばかり読んでいた小生を見て、男だけの環境に放り込めば青瓢箪のせがれも少しは逞しく育つのではないか、両親はそう思ったらしく、小生をある港町にあるミッション系の男子校に入れた。そして、これが全ての始まりであったのだ。

一杯のラーメンを啜りながらこんなことを考えた

「金龍」というラーメン屋がある。

 

大阪は心斎橋、道頓堀の繁華街の一角にある至って普通のラーメン屋だ。メニューはラーメン(600円)とチャーシュー麺(頼まないので値段は知らない)の2品のみ。白飯も瓶ビールもない。

 

正直どこにでもよくあるラーメン屋で特別美味いというわけではない。スープも鶏ガラを使っているのだろうが、どちらかといえば塩味と化学調味料を強く感じるようなものだ。麺やチャーシューも並である。店員もなぜかアジア系の外国人しかいない。

 

これでも僕は結構なラーメンジャンキーを自認していて、味にはかなりうるさい方なのだが、なぜか近くにきた時には毎回ふらふら寄ってしまう。

 

その店は半露天になっていて店をコの字に囲むようにテーブルが囲んでいる。言うならば街と店が地続きになっているのだ。そこでラーメンを啜りながら夜の街を観察するのが好きだ。

 

夜の繁華街にはいろんな人間がいる。変な物も多い。居酒屋のキャッチのお姉さんや妙な外国人を交番に連れていく駐在さん。ヤンキーの集団。金だけは持ってそうなオヤジとパパ活女。2分ごとに喋る串カツ屋の人形なんかもある。そういうものを眺めながら飲むスープには薄っぺらい化学調味料以上の滋味があって、原価率が明らかに低そうなラーメンでもなかなか悪くないように思えてくる。

 

大阪には混沌がまだ残っているのだ。今住んでいる京都も中高を過ごした神戸も土地柄からだろうか結構小綺麗な街でら、三宮にも河原町にもこんな場所はあまりない。だからかは知らないが小さい頃から大阪に点々とある歓楽街が好きだった。

 

にしても近年はこういう街も姿を消しつつある。オリンピックだか万博だか知らないが確実に街は清潔になってきている。風俗店もラブホテルも減っている。煙草の吸える喫茶店なんて絶滅寸前だ。

 

遠くない未来日本ではこんな景色をもう見られなくなるのだろう。そうなった日には東南アジアにでも移住しようかなと思っている。